十九世紀はじめ、ハワイ王国においてカアフマヌが政治的実権を握ると、キリスト教を中心とし欧米文化を取り入れようとする動きがあり、そこに白人が入り発言力が増すことで、ハワイ島で栽培可能なサトウキビが輸出用資源として大規模な生産を行おうとする動きが活発化しました。1850年から外国人による土地私有が認められるようになると、争うように白人の投資家がハワイ各地にサトウキビ農家を設立し、サトウキビ産業は一大産業として成長することとなりました。

もちろん農業には労働力が必要ですが、その大規模さのあまりにハワイ人だけでは補えなくなり、外国からの移民を受け入れざるを得なくなりました。そのときに一番多くやってきたのが日本人です。その上、日本人はほかの移民に比べるとサトウキビ農業に着手すると長続きしたので、日本人移民はハワイ島で骨を埋めることとなり、日系人が誕生することとなりました。

ですが、この日本人移民で初めての日本人移民だった集団は、明治政府の許可なくホノルルへ送り出された無許可の日本人労働者だったのです。この移民は元年者と呼ばれています。移民の一部は、日本側の抗議があったことで、契約内容が異なるとして帰国することが出来、残留を望んだ移民は待遇改善をしてもらえることとなりました。