ウィリアム・チャールズ・ルナリロは、ハワイ国第六代国王です。即位をしてから僅か、一年、一ヶ月程の短い期間でこの世を去りました。ハワイ国王第五代国王のカメハメハ五世が後継者を定めないまま、1872年に亡くなったことから始まりました。

その為、憲法に従い、ハワイ国では、初となる選挙により、国王を決めました。この選挙により、カメハメハ一世の直径による王国支配に終止符となりました。ウィリアムズ・チャールズ・ルナリロは、選挙により、国王としてハワイ国王となりましたが、僅か、一年、一ヶ月にして亡くなることとなるのです。原因は、肺結核です。その後、ウィリアムズ・チャールズ・ルナリロは、本人の遺言により、遺体をホノルルのダウンタウンにあるカワイアハオ教会に埋葬してもらいました。

人々からは、ハワイ国であり、人民の王として現在でも、称される程の王であり、亡くなっても 人民の中にいたいと言う本人の遺言からハワイの人々が集まるホノルルのダウンタウンにあるカワイアハオ教会に埋葬してもらいました。このように、ハワイの人民に愛される存在であり、人々と共にある偉大な王、ウィリアムズ・チャールズ・ルナリロ国王は、カワイアハオ教会に眠ります。

1874年デビッドカラカウア王即位

王国成立以前、首長によって島ごとに統治されていたハワイを統一したのがハワイ島の支配者カラニオプウの甥カメハメハ。優れた外交手腕を有していた彼はイギリスと防衛援助協定を取り付けたことを契機に全島制圧に踏み出しました。カメハメハは大部分を制圧した1795年にハワイ王国の建国を宣言、1810年には残るカウアイ島とニイハウ島の割譲に成功し、全島の統一を成し遂げました。

1872年に第5代国王カメハメハ5世が後継者を指名せずに急逝するとカメハメハ王朝は終焉。王位決定権は議会に委ねられることになり、選挙の結果初代王の異母弟の子孫であるルナリロが1873年に即位しました。親米派のルナリロはアメリカとの互恵条約を目指しましたが在位1年で志半ばにして病没。再び国王選挙が行われ、1874年デビッドカラカウア王が即位しました。カラカウア王は前王の遺志を継ぎ、アメリカとの互恵条約の締結を成就。海外を歴訪するなど外交問題に積極的に取り組み、来日の際には明治天皇と会見しています。アメリカ合衆国併合の波には抗しがたく、彼の治世中に王室は多くの権力を失うことなりましたが、後にホノルル観光の目玉となるイオラニ宮殿の建設、キリスト教宣教師に禁止されていたフラを復活させるなどカラカウア王の功績は今に残っています。彼の死後は妹のリリウオカラニが王位を継承しましたが、ハワイ王国最後の女王となりました。