カメハメハ一世は1810年にハワイ諸島を統一してハワイ王国を建国し、初代国王になった人です。カメハメハ一世はカメハメハ大王の名でも親しまれ、古い文献などではハメハメハと表記される場合もあります。

カメハメハはハワイ語で孤独な人、静かな人を意味します。彼はハワイ島の北部に位置するカパアウで生まれ、叔父の死後長男のキワラオを倒して島内を掌握しました。そしてイギリスから武器や軍事顧問などの援助を受けつつ、マウイ島やオワフ島など周辺の島を征服していきました。政敵が火山の噴火や外敵などで壊滅状態だったことも統一に幸いし、18世紀までにはカウアイ島、ニイハウ島を除いた全地域を支配下におさめて1810年にこの2島もカメハメハに服属して国家統一を成し遂げました。

カメハメハ五世によってその偉業がたたえられ、6月11日がking Kamehameha Dayとして現在もハワイ州の祝日となっています。カメハメハ1世は外交術にもすぐれ、イギリスやアメリカなどの西洋諸国との友好関係を維持しながらハワイの独立を守り、伝統的なハワイの文化と保護、反映に貢献しました。また、彼が作ったママラホエという法律は戦時における非戦闘員の人権を保護するもので、現在は世界中で受け入れられている先駆的なものです。

カメハメハ1世の人物像

カメハメハ一世とは、1810年にハワイ諸島を初めて統一しハワイ王国を建国し、初代国王となった人物です。カメハメハ一世はハワイ島北部のカパアウで生まれ育ち、優れた外交感覚でイギリスやアメリカなどの元は植民地支配をしていた国々との友好関係を維持し、ハワイの独立を守り、ハワイの伝統と文化の保護や繁栄などに貢献しました。カメハメハ一世は外交感覚が優れていたことはもちろん、今日の世界中で推進されている非戦闘員である国民の人権を戦時中に守るという法律をいち早くつくった人物でもあります。

とくにこのカメハメハ一世がハワイ島を治めていたころは、王政があった時期の中でも最も平和な時代でした。その偉大な功績を称えるべく、ハワイ島のなかにカメハメハ一世の像を設置しているところもあります。今日のハワイ島のリゾート地として発展しているのは、このようにカメハメハ一世がハワイ島が植民地支配を受けることがないように西洋諸国からの独立を守りつつ平和関係を維持したというのが大きいのです。しかし一方でこのハワイ島の独立には、誰かの犠牲なしには成り立たないという構図もあり、この独立のために犠牲になった軍人がいることも事実なのです。

1872年カメハメハ王家の血筋断絶

ハワイを統一し、ハワイ王国を樹立したカメハメハ大王の血筋は1874年に断絶してしまいますがそれまでも決して幸運と呼べるような運命ではありませんでした。カメハメハには娘がおり、その娘には三人の子供がいました。そのうち2人は男の子で、アメリカとヨーロッパに訪問経験があり、イギリスでは国賓待遇を受けましたがアメリカでは当時まだ奴隷制度が公認されていたため、両者の違いが強烈に印象に残ったためか、2人はアメリカ嫌いであったとされています。その影響もあってか、のちのカメハメハ一族はイギリス寄りになっていきます。カメハメハ4世の妻であったエマ?ルークはのちにクイーン?エマと呼ばれるようになる有名な女性ですが、彼女はハワイの人々からの支持も厚く、1874年のルナリロ王死去の際には時期国王選挙をカラカウアと争うことになります。4世にはアルバートと息子がいましたが、4歳の時に事故で夭逝してしまい、4世はその精神的打撃からか、1863年に29歳の若さで亡くなってしまいます。兄のロトも1872年に42歳で没しますが、ロトは独身で王位継承権を指名できずに死んでしまいました。その結果ルナリロが王位を引き継ぐこととなりましたが1874年に在位1年と25日で結核により亡くなってしまいました。このようにしてカメハメハ大王の血筋は断絶したと語られています。